「絶対に緩まないナット」で
安全を守るハードロック工業。
どこにも真似できない品質と
知的財産権を駆使して
世界を翔けます。
「どんな振動・衝撃があっても絶対に緩まない」ことで、マスメディアなどでも注目を集めるハードロックナット。 この画期的な製品を開発したのが、日本の経済成長を支える“ものづくりの町”大阪府東大阪市に本社を置くハードロック工業です。 今では様々な業界・業種で絶大な信頼を得るハードロックナットですが、その開発から普及までの道のりは決して平坦なものではありませんでした。 今回は同社の創業者である若林克彦社長をお訪ねし、誕生秘話や独自のオンリーワン技術、さらには知的財産に関する取り組みについてお聞きしました。
「緩まないナット」実現のため、2度の起業を経験
- 取材担当者
- 部材の締結に用いられるナットですが、当然いつかは緩みが生じます。若林社長はその常識を覆すハードロックナットを開発されたわけですが、もともとはどのような仕事をされていたのですか。
- 若林社長
- 大学を出てバルブメーカーに就職し、設計を担当していました。ある日、大阪で開催されていた国際見本市を訪れた際、緩み止め機構を持つナットをサンプルとして頂戴したんです。大変興味深かったので自宅に持ち帰って眺めてみたら、構造がとても複雑で価格も高い。これならもっと簡単な仕組みにして安くできるはずだと思ったことが、すべてのはじまりでした。
- 取材担当者
- すぐに改良のアイデアを思い付かれたのですか。
- 若林社長
- 価格の高いステンレスの針金で締め付ける構造だったので、その代わりに板バネを付けてボルトのネジ山をはさみつけるという方法を1時間ほどで思い付きました。
- 取材担当者
- わずか1時間ですか。
- 若林社長
- はい。さっそく試作品を作り、自分で専門書を見ながら特許を出願しました。本日、弁理士の先生方がいらっしゃっているのに申し訳ない話ですが、当時は依頼するお金がなかったものでしてね(笑)。これが現在の「ハードロックナット」の前身となる商品で、「Uナット」と名付けました。
- 取材担当者
- その時はまだ、会社に勤務されていたのですよね。
- 若林社長
- はい。しかし、この緩まないUナットをどうしても市場に出したいという気持ちが強くなり、弟ともうひとり知り合いを誘って会社を起ち上げました。昭和37年のことです。なんの勝算もなく、今から思えば無謀な行為でした。
- 取材担当者
- すぐに売り上げに結び付きましたか。
- 若林社長
- Uナットのサンプルと製品パンフレットを作って、最初はねじ問屋を回りました。ところがひと目見て、突き返されるんですよ。理由を聞くとJIS規格に準じていないものを扱ってトラブルが起きたら、私たち問屋が非難されるということでした。どこを訪ねても反応は同じで、大変ショックでしたね。
- 取材担当者
- それでどうされたのですか。
- 若林社長
- 会社を退職していますし、もう後戻りはできません。それで問屋はあきらめて、コンベアなどを製造している工場に直接サンプルを試してもらうようにしました。すると、手間なくコンベアに取り付けることができ、緩まないので締め直しの必要もないことが評価され、少しずつ注文が入るようになってきたんです。Uナット製造の下請けを申し出る工場も出てきて、3年目でようやく軌道に乗りはじめました。 やがて高度成長期に入り、省力化・省人化へのニーズが産業界全体に高まったことがUナットの機能・特長と合致して、昭和48年には年商15億円に達しました。
- 取材担当者
- それはすごいですね。
- 若林社長
- ところが販路が広がるに連れて、私たちの想定を超えたところにUナットが使われはじめました。例えば物凄い衝撃を伴う削岩機や杭打ち機などにおいては、さすがのUナットでも緩むことがあります。クレームも寄せられるようになり、安心して夜も寝られない日々が続きましてね。どんな使用状況でも絶対に緩まないナットを、何としても作らなければならないと考えるようになりました。
- 取材担当者
- その思いが、ハードロックナットの開発につながるわけですね。
- 若林社長
- そうなんですよ。ずっと新しいナットのことばかり考えていたのですが、初詣などで有名な住吉大社を訪れたときにふと、大鳥居に目が留まったんです。鳥居もそうですけど日本古来の建築物って、木の接合部の緩みをなくすためにくさびを打ち込んでいるでしょ。この建築構造を応用すれば、絶対に緩まないナットができるはずだとひらめきました。
- 取材担当者
- 具体的にはどのような仕組みですか。
- 若林社長
- いろいろと試してみたのですが、うまくいかなくてね。そこで従来の考え方をすべて捨て、1本のボルトに凸凹形状の2つのナットを使う方法にたどり着きました。ボルトとナットのすき間にくさびを打ち込む代わりに、凸形の下ナットと凹形の上ナットを組み合わせます。そのとき、凸形のナットの芯を少しずらす“偏芯加工”を施すことで「くさび」の役割を果たし(※図(1))、凹形のナットは芯をずらさない“真円加工”にすることでこの「くさび」を打ち込む機能を実現(※図(2))しました。これでボルトとナットは完全に一体化され、どのような衝撃でも緩むことはありません。
- 取材担当者
- 特許は出願されましたか。
- 若林社長
- 今度は弁理士の方に依頼しました(笑)。もうクレームに悩まされることはないと思うと本当に嬉しくてね。それで、この絶対に緩まないナットの製品化に専念しようと思い、Uナットの会社は下請けでサポートしてくれていた方に無償で譲りました。
- 取材担当者
- えっ、無償ですか。
- 若林社長
- 特許権の存続期間がまだ残っていたので全販売量の3%だけ受け取る約束をして、設備・人材など何十億に及ぶ資産をすべて手放しました。妻にはものすごく怒られましたけどね。それで昭和49年に新しく、ハードロック工業を創業しました。
電鉄会社での採用を機に、品質が認められて販売拡大
- 取材担当者
- Uナットとは違い、ハードロックナットはすぐ軌道に乗ったのですか。
- 若林社長
- Uナットは黒字になるまで3年かかりましたが、今回はこれまでの経験を活かせるので1年もあれば大丈夫だと思っていました。ところが、現実は甘くありません。新しい製品をマーケットに乗せるには、やはり3年はかかるものなんですね。当時、とにかくお金が必要なので、以前から頭の中にあった家庭用品に関するアイデアを活かし、そのいくつかを製品化しました。
- 取材担当者
- どのようなものがあったのですか。
- 若林社長
- 例えば、角度を設けて卵を流しやすくすることで、焦げ付かず、しかも素早くできるように工夫した「卵焼き器」は、百貨店やスーパーの店頭販売で人気を集めました。最盛期には1日8,000個の売り上げを記録したほどです。
- 取材担当者
- 大ヒット商品ですね。
- 若林社長
- 思った以上に売れましたね。ほかにも、昔のトイレットペーパーは今のようにロール式ではなく四角い紙で、「落とし紙」と呼んでいました。これを積み重ねるように箱に入れ、トイレの床に置いていましたが、使い勝手が悪かったんですね。そこでこの落とし紙をトイレットペーパー感覚で使えるようにした「壁掛け型ペーパーホルダー」を開発・販売し、これもヒットしました。昔から知的財産権の重要性を感じていたので、いずれも特許を取得しています。
- 取材担当者
- その間にも、ハードロックナットの普及に努められていたわけですよね。
- 若林社長
- はい。阪神電鉄がカーブの脱線防止レールに、ハードロックナットを採用してくれたことが大きな転機になりました。電車が曲がる際の振動の影響でナットが緩みやすく、週に1回は点検を兼ねて締め直しを行っていると聞いて、試供品を持っていったんです。最初は半信半疑のようでしたが無理を言って使ってもらい、2~3ヶ月経ってもまったく緩まないので大量発注につながりました。
- 取材担当者
- ようやく、ハードロックナットの性能の高さが認められたわけですね。
- 若林社長
- ハードロックナットを採用することで安全性が高まり、しかもメンテナンスがいらないので省力化・省人化につながることが認知されると、次々と引き合いがありました。その用途は、電鉄会社のレールや架線、車両部分をはじめ、高速道路、発電所、製鉄所、橋梁、鉄塔、高層ビル、耐震性を重視した住宅など多方面に及んでいます。 東京スカイツリーにも使われており、東日本大震災の大きな揺れでもハードロックナットは緩むことがなく、大きな信頼を得ました。
- 取材担当者
- 新幹線の車両にも使われていますよね。
- 若林社長
- 16両編成の新幹線に約2万個のハードロックナットが使用されています。以前は東京駅に着くと、ナットの緩みを2時間かけて点検されていました。大変な労力と人件費をかけていたわけですが、ハードロックナットに代えてからは一切その必要がなくなりました。
- そのため、点検工程に時間をかけることなく、現在のようにすぐに折り返し運転ができるようになりました。2014年には東海道新幹線開業50周年を記念して、新幹線の長年の安全運行に特に貢献したということでJR東海から表彰していただき、とてもうれしかったですね。
- 取材担当者
- 新幹線も含めて、これまでにクレームはどれくらいありましたか。
- 若林社長
- 製品誕生から現在まで40年以上が経ちますが、ナットが緩んだという報告やクレームは1件もありません。
- 取材担当者
- それはすごいことですね。ところで特許の権利は出願から20年ですので、ハードロックナットはすでに特許権が消滅していますよね。
- 若林社長
- 特許権が消滅しそうになる時期に、新しい機能を付与して出願し直しています。ハードロックナットにストッパーとなるリムをつけて、さらに作業性を向上させた「ハードロックリム」、軸受用緩み止めナット「ハードロックベアリングナット」、六角穴付止めねじに応用した「ハードロックセットスクリュー」など、ニーズに応じた新製品を開発し続け、特許を受けています。
高品質が模倣品を自然淘汰するため、現在は商標権を重視
- 取材担当者
- ハードロックナットは海外でも高い評価を得ていますね。
- 若林社長
- 2005年、コロラド州デンバーで開催されたアメリカ機械学会で研究論文が発表され、ハードロックナットは構造上絶対に緩まないということが科学的に証明されました。これをきっかけに、各国から商談をいただいています。現在は台湾高速鉄道の締結装置に使われているほか、イギリスやオーストラリアの鉄道会社からも正式認証を受けています。アメリカのスペースシャトルの発射台にもハードロックナットが使われているんですよ。
- 取材担当者
- 世界的に知名度が高まると、特にアジア方面では模倣品が出まわる傾向があります。海外における知的財産戦略はどのように展開されていますか。
- 若林社長
- 実は中国でハードロックナットの模倣品を製造していたメーカーが2社ありました。ところがナットに緩みが生じて責任問題が発生し、どちらも潰れてしまいました。ハードロックナットには弊社独自のノウハウが詰まっており、情報を公開しても真似できないという自負があります。このノウハウを守るため、製造設備まで自社で製作しているほどです。
- 結局、「ハードロックナットをコピーすると、大変な目にあう」という話しが口コミで広がったようで、市場から一切模倣品はなくなりました。
- 取材担当者
- 特許権を行使する以前に、性能・品質の部分で製品を守ることができる理想的な状況になっているわけですね。
- 若林社長
- そうですね。このような経緯があるため、海外では特許権も取得していますが、簡単に真似ができる名称などを保護するために商標権のほうを重視しています。
- 取材担当者
- 現在、新たに挑戦されていることがあればお聞かせいただけますか。
- 若林社長
-
航空機産業分野への進出を視野に入れ、航空宇宙産業で求められる国際品質規格「JIS Q 9100」を取得しました。
最初にボーイング社にサンプルを送ったのですが、ハードロックナットは上下ひと組で17gあります。これでは重過ぎるので5分の1の重量にしてほしいと言われました。理由を聞くと、航空機は燃費向上のために軽量化が最重要課題ということでした。1機あたり約100万個使われているそうで、1g重いと1tも違いが生じてしまいますからね。頑張って改良を加えて5gまで軽量化しましたが、それでも認めてもらえませんでした。
- 取材担当者
- それで、どうされたんですか。
- 若林社長
- もう無理と言わざるを得ない状況でしたが、さらに改良を重ねました。材質を鉄からチタンに変え、高さも幅も限界まで小さくした結果、3.3gまで軽量化することができ、やっと認めてもらえました。航空宇宙産業においては、今までなかった様々な規格をクリアする必要があるなどハードルが高いですが、チャレンジしがいがあると思っています。
- 取材担当者
- これからの事業展開にあたり、弁理士にどのようなことを期待されますか。
- 若林社長
- 昔は自分で出願していましたが、不手際があって特許取得を逃してしまったこともありました。現在も製品化に向けたアイデアをたくさん抱えていますので、知的財産権で保護するために弁理士の方の存在は欠かせません。とくに海外における商標権取得は難しい点が多く、全面的なサポートをお願いしたいですね。
- 取材担当者
- 弁理士との協力体制で、御社にとって最適な知的財産戦略を推進していただければと思います。本日は貴重なお話しをたくさんお聞かせいただき、ありがとうございました。
[TOPICS]
工場を訪れるゲストを、
鉄道模型でおもてなし。
ハードロックナットの生みの親である若林社長は、日本有数の鉄道模型コレクターとしても有名です。工場2階のスペースには、1周100メートルものレールが敷設され、大人10人が乗れるミニ蒸気機関車を走らせることができます。
もちろん、このレールの締結にもハードロックナットを採用。若林社長は商談などに訪れるゲストをここに案内するなど、なごやかな交流を育む場になっています。
ハードロック工業株式会社
昭和49年、“絶対に緩まない”ハードロックナットの開発を機に創業。以来、オンリーワンの技術と製品で、国内はもとより世界のあらゆる産業分野に安全と安心を届け続けています。独創的な製品づくりが認められ、平成22年「第35回発明大賞本賞」「第一回グレートカンパニーアワード特別賞」ほか数々の栄誉に輝くほか、若林社長ご自身も平成21年「第3回ものづくり日本大賞特別賞」「旭日双光章」、平成27年「東久邇宮記念賞」など多数受賞・受章されています。
2016年3月29日掲載