活動紹介

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ちざい げんき きんき 事例紹介 知的財産の活用で、元気な関西の企業/団体を紹介します
複数枚の布の縫合及びその縫合用ミシン
特許第5945050号 米国特許第10151056号 中国特許第106460276号
ミシン
意匠登録第1672969号
ミシン用針先保護具
意匠登録第1678266号
権利者:株式会社アックスヤマザキ

「知財で守る、知財で攻める」
縮小するミシン業界にイノベーション
で勝負するアックスヤマザキ

1946(昭和21)年創業の、大阪市生野区にあるミシンの製造・販売メーカー「株式会社アックスヤマザキ」は、2025(令和7)年で創業79年を迎える。現在の山﨑一史社長は3代目。縮小する一方のミシン業界において、子育て中の母親や子ども、男性とターゲットを絞ったミシン開発に果敢に挑戦し続けている。企画段階で、特許取得可能な高いレベルの製品づくりを目指すという考え方の社長に、縮小する業界の中で中小企業ならではの知的財産を活かした経営戦略について伺った。

アックスヤマザキの事業と製品

あの「下町ミシン」を生んだ、機能もネーミングも常識の枠を超えたミシンを開発

取材担当者
御社は3代続くミシンメーカーです。最近ではお子さま向けや、男性向けのミシンなど、デザインもかわいいものからスタイリッシュなものまで揃えておられますね。
アックスヤマザキ
例えば2015(平成27)年に発売したHugシリーズは、安心安全を第一に、毛糸専用の遊べる子ども向けミシンです。本来のミシンでは上糸と下糸を使いますが、上糸の毛糸だけを使って、5本の針が毛糸で生地を縫い合わせていく仕組みです。安心針ガードがあるので、誤って針でケガをする心配もありません。
取材担当者
「子育てにちょうどいいミシン」、「TOKYO OTOKOミシン」、「孫につくるわたしにやさしいミシン」など、インパクトのあるネーミングはどのように決めていますか?
アックスヤマザキ
弊社はミシンをやらない方にもやって頂きたくアプローチしているので、普通にやっていては一般ユーザーに振り向いてもらえません。だからこそインパクトのあるネーミングが必要です。開発ではまずターゲットを絞り込み、その人の心に響くメッセージを考えます。メッセージから単語を抽出するため、社内はもちろんあらゆる人からいろいろなキーワードを集めて決定しています。
取材担当者
「子育てにちょうどいいミシン」は、2020(令和2)年度のグッドデザイン賞金賞を受賞し、メディアにも大々的に取り上げられました。
アックスヤマザキ
メディアに取り上げられたのは、コロナ禍も理由の1つです。マスク不足で、手作りするのにミシンが必要だとメディアで紹介いただきました。「子育てにちょうどいいミシン」の使い方は、QRコード(※)からスマホ動画で確認できますし、スマホのスタンドを兼ねる安全針カバーも付けました。このミシンは軽くてコンパクトですから、収納も楽です。
取材担当者
「下町ミシン」としても一躍人気になられましたね。
アックスヤマザキ
ひょんなことで一部のメディアに、大手企業から特許異議申し立てをされたエピソードを話したら、「大手企業に勝利した大阪下町のものづくり会社」というストーリーで紹介され、注目が集まったのです。「下町ロケットならぬ、下町ミシン」と、当時は弊社のミシンが飛ぶように売れ、3カ月待ちをお願いするほどでした。
アックスヤマザキの成り立ち

「縮小するミシン業界を盛り上げる」を使命にニーズを掴んでミシンを届ける

取材担当者
御社の創業からの流れを教えてください。
アックスヤマザキ
1946(昭和21)年に祖父が創業しました。家庭用ミシンで「ブルーバード」という名で海外へ輸出していましたが、これが弊社で商標を取ったもっとも古い商品となります。やがて国内のミシン需要の高まりで、1980年代にはミシンは「一家に一台」の時代を迎えました。2代目の父は、ミシンの小型化に成功して台湾工場を設立します。当時は9割がOEMで販売も順調でしたが、1990年代後半から市場が急激に縮小し始めました。
取材担当者
山﨑社長が家業に入ったのはいつですか?
アックスヤマザキ
2005(平成17)年です。工具の卸メーカーのサラリーマンから、27歳で家業に入りました。きっかけは父の「会社がピンチ。この先やっていく自信がない」という弱気な言葉。ショックでした。長男だし「自分がやる」と入社したのですが、そこで初めて、ミシンがここまで世間から見向きもされない状況にあると知りました。しかも弊社はミシン業界では最も小規模で知名度もなく、新規開拓しようにも全く相手にされませんでした。
取材担当者
そんな逆風の中で、最初に取り組んだことは何ですか?
アックスヤマザキ
2015(平成27)年に社長に就任するまでの10年間は、どうしたらミシン市場を復活できるか、必要としてもらえるか模索しました。そこで現状を知り、ニーズを探ることから始めたのです。 弊社が1990年代まで順調だったのは、当時の世の中のニーズに応じた製品を造っていたからだと思います。その後、市場縮小と共に業界全体が値崩れを起こし、独自性のなかった弊社は、私が入社した当時、ミシンを必要としない人にも頭を下げて「お願い営業」をやっていました。しかし縮小する市場ではすぐに限界が来ます。
取材担当者
そこで、グロービス経営大学院というビジネススクールへ通われたのですか。
アックスヤマザキ
打開策を求めていろいろな経営塾へ行きましたが、中でも光明が見えたのがグロービス経営大学院でした。私の目的は「業界変革のヒントを掴む」でしたが、それ以上に得るものが多かったです。
取材担当者
何を得ましたか?
アックスヤマザキ
1つ目は劣等感がなくなったこと。名だたる大企業に勤める人たちを前に、最初は劣等感がありましたが、人というのは優れている面もあればそうでない面もあります。「同じ人間なんだ」と気づけたことは、自分にとって大きかったですね。
2つ目に、多くのケーススタディを通じて疑似体験を積めたことです。ビジネスの最新知識を実際の事例から学び、自分の頭で考え抜く作業を繰り返しました。そうして経営者としてマーケティングや財務といった分野を、広く浅く網羅できました。その中で、ミシンにおける社会的課題に向き合うタイミングが来たのです。
取材担当者
それはどういったことですか?
アックスヤマザキ
最後の課題は「大逆転戦略を作る」でした。そこでミシン業界の大逆転戦略を探るため、業界外部の人にミシンについて思うことを徹底的にヒアリング。すると予想以上に、「小学校でミシンが苦手になった」人が多いことに気づきました。これを社会的課題としたとき、同時に「そうした現状を甘んじて受け入れてきた」業界内の課題も見えました。
私はそれまで、ミシンが下火になったのを時代のせいなどと思っていましたが、「違う。ミシンのせいだ。ミシンが難しいから嫌いになるのだ」と気づけた。これはすごく腹落ちしました。ミシンそのものを変えなければと、やっとミシンの課題に向き合えたと思います。
取材担当者
まさにビジネススクールに入った目的である「業界変革のヒント」を掴んだのですね。
アックスヤマザキ
ミシンに対するアプローチが変わり、入社して初めてワクワクしました。
取材担当者
それはいつのことですか?
アックスヤマザキ
2012(平成24)年です。ミシンに親しんでもらうには小学校でミシンを習う前の、幼いときの成功体験が大切と考えて「毛糸ミシン」の開発を始めました。販売にこぎつけたのは2015(平成27)年です。
取材担当者
毛糸ミシンは5本の針で上糸だけという、従来のミシンの機構を使いません。開発で苦労したところはありますか?
アックスヤマザキ
まず今ある技術をうまく使い、実現性を第一にアイデアを出し合いました。 子どもが苦手意識を持つ原因は、160年以上変わらないミシンの機構です。しかし、だからといってまるで違う機構の製品を開発するには、弊社の規模ではリスクが高い。従来のミシンの機構を踏まえつつ、新たな製品を作るための見極めに苦労しました。
取材担当者
大変な開発だったのですね。またマーケットでいえば、これは玩具に入りますね。玩具業界への新たな販路開拓にも苦労したのではないですか?
アックスヤマザキ
そうですね。しかしそれよりショックだったのは、当時社長だった父の反応でした。最初に企画書を持って説明に行ったときに言われたのは「うちの会社をつぶす気か」です。「おもちゃなんか止めておけ」と、企画書を投げつけられました。
取材担当者
お父様がやりたかったのは、従来のミシンだったのですね。
アックスヤマザキ
当然ですよね。しかし当時の私は父を説得する力がなかった。社員には、「社長は自分が結果で説得するからどうか付いてきてほしい」とお願いしました。私は、毛糸ミシンをただのおもちゃなどと少しも思っていませんでした。むしろミシンが苦手な子どもを量産しなくて済む、将来の市場拡大につなげるものだと確信していましたし、市場を盛り立てる自分たちの使命に沿った製品だと思っていました。
取材担当者
開発の際、社員の方々とはどのように向き合ってこられたのですか?
アックスヤマザキ
父が社長だった頃から、弊社では月1回、技術者たちが互いのアイデアを持ち寄る新製品会議が開かれていました。でもなかなか形にならなかったのです。それは本来、技術者が得意な「アイデアを形にする」、「機構を考える」作業ではなかったためだと分析しました。技術者にアイデアや、企画を任せていたのです。そこで、そのアイデアや企画は私の役割とし、技術者には本来の役割に戻ってもらいました。住み分けをし直したのです。
取材担当者
社長が一人で、アイデアや企画を行っているのですか?
アックスヤマザキ
実際は、周囲にヒアリングしてアイデアを頂戴します。大事なのは、私が面白いと思うのではなく、相手が面白いというアイデアを採用すること。ニーズを引き出し、会議でそれを技術者に形にしてもらうようお願いしました。「毛糸ミシン」の機構のアイデアも、やはり外の人からの意見を反映しています。開発に着手する際のヒアリングには技術者にも同行してもらい、「こういうのがあったらいいのに。なぜできないのか?」という声を一緒に聞いてもらいます。想いがダイレクトに伝わり、より良いものが生まれやすいと思います。
取材担当者
社長と技術者とが同じ方向を向いているように感じます。
アックスヤマザキ
私も技術者も、長年「普通にやっても見向きもされない」という時期を経験してきたのが大きいと思います。だから何としてでも役に立ちたいという想いが強いのだと思います。
取材担当者
しかし、このような思い切った舵切りは、大企業では難しいでしょうし、挑戦になかなか踏み切れないでしょうね。
アックスヤマザキ
やはり「使命感」だと思います。業界の片隅に置いてもらっている弊社で、ミシン業界を自分の人生をかけて立て直したいと思っています。
取材担当者
伸び悩むミシン業界の社会課題を解決する。その延長線上に独自性が生まれたわけですね。
知的財産への取り組み

イノベーション経営を支える知的財産

取材担当者
新製品の独自性を打ち出す中で、他社の商標や特許等には気をつけていますか?
アックスヤマザキ
他社の特許等の侵害はないか、事前に必ずチェックします。新たなマーケットに進出したり、従来のミシンの枠を超えた発想で機構を作ったりとイノベーションに挑戦し続ける中で、自社の商品紹介で「特許を取っている」という一言は、一種の説得力があります。
取材担当者
Hugシリーズは、日本以外に米国、中国でも特許を取っていますね。
アックスヤマザキ
海外へも打って出ようと2018(平成30)年に米国とドイツの展示会に出したところ、模倣したような製品が出ていました。弊社が米国や中国の特許を取る直前のことでした。私たちはミシン業界を盛り上げたいという使命感で毛糸ミシンを開発していますから、腹立たしいというより、他社に真似できない、もっと面白いものを作らなければと気を引き締めました。
取材担当者
「子育てにちょうどいいミシン」も同じようなことがあったそうですね。
アックスヤマザキ
爆発的に売れた時、ECサイトで同じ名前の中国製製品が5位や6位にランキングしました。弊社の製品と勘違いして購入されるお客様が出るのを防ぐため、弁理士の方に相談して内容証明を送ると、幸いすぐサイトでの販売がなくなりました。特許出願をしていなかったので、それを機にロゴの商標やミシン本体の意匠を取りました。先ほどお話したスマホのスタンドを兼ねる安全針カバーの意匠も取りました。
取材担当者
御社は他社に模倣されたら、もうワンランク上の新たな製品を作ろうというお考えですか。
アックスヤマザキ
そうです。ビジネスでは知的財産権の侵害とまで言わないまでも、目指すゴールが同じだと似通ってくることがあります。そのことを前提に、私たちは世間が必要するものを作る、そのために進化していかなければと思っています。
取材担当者
御社は新製品を企画開発する過程で特許を出願されています。なぜですか?
アックスヤマザキ
私たちは基本的に、コンセプトを決定する時点で「この製品で特許を取る」「特許で独自性を出す」と決めています。逆に言えば、特許を取得できるほど必要と認められる、独自性のある機能を備えたものでないと世の中に認められないと自分たちにプレッシャーをかけています。実際に特許を取り、社外に「他にはない機能です」と宣伝できたらアピールポイントになりますしね。 弊社にとって知財とは、他社の模倣から自社製品を守るもの。そして特許を取れるくらい高いレベル、かつ社会に役立つものを創るぞという、攻めのマインドに必要なものです。
取材担当者
まさに知財を、守りと攻めに利用されていますね。ところでさきほど、名称を模倣されたときや、新製品開発の際にも特許の侵害がないか弁理士に相談されたと話されました。ほかにどのような相談をされていますか。
アックスヤマザキ
例えば新製品について、ある程度弊社で権利を押さえておきたいなど、会社としての意向をある程度決めた上でご相談しています。それを踏まえて意見やアドバイスを頂いています。
取材担当者
「子育てミシン」のスマホスタンド兼用の安心針カバーは、ミシン本体とは別に、単独で意匠権を取得されています。なぜですか?
アックスヤマザキ
スマホスタンドにスマホを置いてそれを見ながら操作するシーンは、弊社のミシンならではのものです。また、スマホスタンド兼用の安心針カバーは、本来は、ミシンを使わないときに針がむき出しにならないようカバーするためのものですが、外したときはスマホ用スタンドとして利用できます。そもそも安心針カバーは、ユーザーの声を反映して設けたものです。こうしたストーリーは弊社が大切にしているものですし、独自性として権利を取っています。
取材担当者
弁理士さんとは、そういう商品コンセプトを相談しながら、権利を取るものとそうでないものを相談しているのですね。
アックスヤマザキ
そうです。技術はもちろん、弊社が大切にしているものを理解してくださり、それらを知的財産として守るためにいろいろと考えてくださっています。
取材担当者
製品全体ではなく、その部品が模倣されることがあります。製品全体の特許や意匠は取ったけれど、その部品の特許等を取っていないと、このようなケースに対処できないことがあります。この対策という意味もあるでしょう。
アックスヤマザキ
そういった意味でも、弁理士の先生から最も効果的な特許等の取り方とリスクヘッジについてストレートにアドバイスいただけることは、とてもありがたいことだと感謝しています。
取材担当者
今日はいろいろとお話を伺いました。ありがとうございました。

(※)QRコードは(株)デンソーウェーブの登録商標です。


株式会社アックスヤマザキ
1946(昭和21)年創業。祖父、父と続き、現社長の山﨑一史氏は3代目。子どものファーストミシン「毛糸ミシンHugシリーズ」、簡単操作で手作りの楽しさを味わえる「子育てにちょうどいいミシン」、またジーンズなどの厚手生地にも対応可能な「TOKYO OTOKOミシン」など、性能に加えインパクトのあるネーミングのミシンを多数扱う。縮小傾向のミシン業界において、新たな市場を生み出そうと果敢に挑戦し続けている。


2025年03月04日掲載

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