活動紹介

知財歴史探訪 関西の企業の知的財産の創出や利活用の歴史を紹介します。
トランクの構造 ,スーツケースの構造,カバンの構造
実用新案登録 実公昭30-12176号,実公昭30-12670号,実公昭35-19190号
「豊岡鞄」
商標登録第5002122号
探訪先: アルチザン・豊岡鞄協会 

まち丸ごと鞄製造工場豊岡鞄の歴史に迫ってきました

国内トップクラスの生産量を誇る鞄生産地、兵庫県豊岡市。どのようにして地域ブランドとして成長、発展してきたのでしょうか。そして知的財産がどのように関わり、その発展に貢献してきたのでしょうか。今回は鞄販売と職人育成を行う豊岡鞄の拠点、豊岡市のカバンストリートにあるアトリエ・鞄職人養成スクールの「アルチザン」と、「豊岡鞄協会」の各ご担当者に話を伺いました。

「豊岡鞄®」に詰まった豊岡の多様な鞄製作技術

~ アルチザンに聞く「豊岡鞄®」とは何か ~

取材担当者
豊岡は奈良時代の頃から近くの円山川流域の湿地帯に自生していたコリヤナギを使って、籠などの製品を作っておられたそうですね。
アルチザン
現在の鞄産業の始まりです。このアルチザンの建物は2014(平成26)年にオープンし、1階は豊岡かばんの専門店、3階は鞄製作が学べる専門校です。
取材担当者
アルチザンとは、どういった組織なのですか?
アルチザン
弊社は、豊岡まちづくり株式会社として豊岡市及び兵庫県鞄工業組合などからの出資を受けて設立されました。 豊岡市内の製造企業、鞄メーカーやその関連企業などが関わっています。
取材担当者
貴社は、なぜ「豊岡鞄®」に特化するようになったのでしょうか。
アルチザン
もともとは地域活性のために設立された会社でした。「豊岡鞄®」は、2006(平成18)年11月に、兵庫県鞄工業組合が、「豊岡産のかばん類」を指定商品として「地域団体商標」の登録を受けたものであり、地域ブランドとして販路を広げようとしていましたが、当時は製造業が主体で定まった販売ルートもなく、百貨店の期間限定ショップで売り出す程度で、「豊岡鞄®」を買える店舗がありませんでした。
取材担当者
実際に鞄を手に取れる店がなかったのですね。
アルチザン
はい。ですので、豊岡の鞄の拠点を作る必要がありました。そこで兵庫県鞄工業組合や地元商店街、そして豊岡市がスクラムを組んで成立させたのが、この「アルチザン」です。ここで、豊岡産のオリジナルの鞄の販売を開始したのです。
取材担当者
なるほど。そういう経緯で設立されたのですね。ところで、3階はスクールだそうですね。
アルチザン
鞄職人育成のためのスクールです。当時から職人の育成が大きな課題の一つでした。技術の継承があって初めて鞄産業が発展ことは認識しつつも、当時は専門的な知識と技能をしっかりと身につけることができる場所がありませんでした。そこで豊岡産の鞄の販売と職人の育成という、これまでに無かった仕組みを取り入れた「アルチザン」を創ったわけです。
取材担当者
あらためて、「豊岡鞄®」とは何でしょうか?
アルチザン
豊岡で製造される「豊岡産」、あるいは「豊岡製」を謳う鞄の中から、兵庫県鞄工業組合に所属する「認定製造企業」が生産し、組合が定めた厳しい基準を満たし審査に合格した製品を「豊岡鞄®」として認定しています。
取材担当者
何か、他の鞄と区別するためのロゴマークは付けておられますか?

アルチザン
商品には赤い鞄を目印とするロゴマークの札は付いていますが、一般的なブランドバッグのような定まったロゴマークが鞄に入っているわけではありません。「豊岡鞄®」は、1つの企業が製造する鞄ではなく、先に述べた基準をクリアした、高い技術を持つ企業の鞄に与えられる地域ブランドとして機能しています。
取材担当者
なるほど。豊岡産の鞄が、全て「豊岡鞄®」ではないのは興味深いですね。
アルチザン
そうです。「豊岡鞄®」の認定は、兵庫県鞄工業組合に加入している企業が対象です。豊岡市内には、組合に入っていない会社や、認定を受けていなくても優れた品質の鞄を作る会社もあります。ただ「豊岡鞄®」は、高い品質を持つ鞄のみ認定されますから付加価値は高いと思います。審査会では、内装やハンドルの強度など、外から見えにくい部分まで徹底的に審査されます。
取材担当者
他に地域ブランド「豊岡鞄®」として販売するメリットは何ですか。
アルチザン
認定制度による、高品質を保証されます。保証書を付けて製造企業を明記する事によって、お客様は安心して長くお使いいただけ、修理やメンテナンスの相談ができます。また企業に対して認定を出すわけではないので、新商品が出たら、その都度審査会を通します。審査を通過しなければ、「豊岡鞄®」として販売できません。
取材担当者
そうして一定の基準を満たした、新しいデザインの鞄もどんどん「豊岡鞄®」の輪に入ってくるわけですね。
アルチザン
製造企業によっても特徴があります。例えば箱型でカッチリしたデザインが得意だったり、ソフトなデザインのレディース向け鞄が得意だったり。素材もバリエーションに富んでいます。だから最近は、例えば同じ素材や、SDGsを意識して同じ再生素材を使ったりして、素材をベースとしたブランドとしての商品展開をしていこうという動きも見られます。個々のメーカーが、1つのブランドの中で、それぞれの特徴を活かして共同でシリーズ展開するというものです。
取材担当者
個々がアイデアを持ち寄り、新しい豊岡鞄を生み出していくという、興味深いお話ですね。ちなみに、ある企業のアイデアを、別の組合いの別会社の人が使わせてほしい、ということもあるのでしょうか?

アルチザン
基本的にはありませんが、協力して技術を共有する部分はあると思います。「豊岡鞄®」と外部のブランドが連携してダブルネームという形を取ることもあります。
取材担当者
その自由度はすごいですね。他のブランドでは見ないと思います。
アルチザン
とはいえ、ほとんどは企業ごとにカラーがあり、それぞれの得意なカバンを展開しています。豊岡の鞄は戦後OEMが主流だったので、相手先ブランドのさまざまな要求に応えてきました。そのため実に多様な技術に溢れていて、今も各企業、強みを生かしたオリジナル鞄を製作していますね。
取材担当者
スクールでは、豊岡鞄®の作り方が学べるのでしょうか。
アルチザン
いえ。そのような縛りはなく、鞄づくりを学んでいただきます。
取材担当者
豊岡のアルチザンで学ぶことの特徴と利点について教えてください。

アルチザン
アルチザンは「鞄職人を育てる」場です。1年制です。最大13名の生徒が独自のカリキュラムに沿って、1人23~24個のバッグを1年間で作ります。専用の平ミシンも1人1台割り当てられますので、ここでは鞄づくりを最初から最後の工程まで一貫して学べます。最初は簡単なポーチから、トートバッグやビジネスバッグまで作ります。
取材担当者
製作するバッグは、皆さん同じデザインのものを作るのですか?
アルチザン
いいえ。例えばビジネスバッグでも、材質や形など皆さん違います。自分でイメージしたものをデザインするところから行うからです。
取材担当者
たった1年で、自分でイメージしたものを形にする力がつくんですね。
アルチザン
材料から選ぶので、原価計算もできるようになります。私たちは、即戦力である彼らが卒業後の就職先、つまり豊岡の製造企業を紹介するところまで行います。北海道から九州まで全国から学びに来られ、約6割がそのまま豊岡に残り、働いてくれています。
取材担当者
これまで何人が卒業していかれましたか?
アルチザン
100人ちょっとだと思います。
取材担当者
約4割の方は、豊岡からまた全国へ散っていくわけですね。すると例えば東京に戻った卒業生が、東京で豊岡鞄®を製作するのは良いのでしょうか?
アルチザン
ケースバイケースです。例えば、「豊岡で修業した」とブランディングし、フリーで販売するケースや、あとは東京に進出した豊岡の企業に所属して、豊岡鞄®の企画や販売に携わるという事例もあります。というのも「豊岡鞄®」を名乗る鞄を製造、販売するには、鞄工業組合に入っている企業に所属しておく必要があるからです。
取材担当者
個人で、「豊岡鞄®」に必要な技術を身に付けているだけでは駄目ということは、「豊岡鞄®」ブランドは、兵庫県の鞄工業組合に限られた企業に対するいわば「お墨付き」なんですね。
アルチザン
そうです。「豊岡鞄®」はメイドイン豊岡を謳っていますし、豊岡で修業した人が豊岡以外で鞄を作っても、それだけで「豊岡鞄®」になるわけではないんです。
取材担当者
それぞれの企業が工夫をし、好みの材料や素材を選んで個性のある鞄を創り出す。つまり、「豊岡鞄®とは何か」といえば、作られた個々の製品というよりも、むしろ製造技術そのものにあるんですね。だから「豊岡鞄®」を満足するための製造技術の基準を設けたんですね。まさに「製造技術にブランドあり」ですね。だからこそ、確実な技術伝承が必要で、豊岡で作られなくてはならないんですね。
アルチザン
スクールで教える先生は、「豊岡鞄®」の審査員も務めておられます。だから生徒は高いレベルの鞄づくりを学べるのです。
取材担当者
一つ疑問があります。普通は製造企業で、その企業ならではの技術を教えるのが普通だと思います。でも豊岡は、地域を上げて技術を教えるスクールを作りましたが、それはなぜですか?
アルチザン
地域ブランドの強化に力を入れる鞄工業組合が関わっているところが大きいかもしれません。通常は、鞄の製造業に就職しても、実際に携われるのは鞄製造の全行程のうち、一部だけをひたすらやることがほとんどです。しかしそれでは、地域ブランド「豊岡鞄®」のスタンスから離れてしまいます。私たちが全ての工程を学ぶ体制を作ったのは、地域ブランドである「豊岡鞄®」を守るためです。それが、豊岡で鞄づくりを学ぶ強みでもあります。
取材担当者
地域全体で、次世代の担い手を育成しようというお考えですね。自分の店の商品だけ売れれば良い、という考え方ではないですね。
アルチザン
スクールで使う材料は、多くの地元製造企業から未使用の生地や取っ手などの材料を提供いただいています。生徒に原価計算という実践レベルまで教えられるのも、材料が豊富にそろっているからです。さらに、地元製造企業は、インターンとしてもスクールの生徒を受け入れてくださいます。
取材担当者
最初に「豊岡鞄®」とは、豊岡で製造された鞄だと仰いました。製造技術そのものがブランドであるなら、たしかに豊岡で製造する必要があると思います。製造過程とか製造技術をブランディングすると、時代の変化に応じて流行に沿った商品がどんどん出てきても良いんですね。
アルチザン
見た目はどんなデザインでもいいんです。「豊岡鞄®」は、そこに入った技術そのものをブランディングしています。
取材担当者
おまけにスクールで学んだ6割ほどが、そのまま豊岡に住み続けるなんて、とても面白い地域おこしにもなりますね。お話を伺って、「豊岡鞄®」の特長がよくわかりました。ありがとうございました。
知財と「豊岡鞄®」とのかかわり

~ 豊岡鞄協会に聞く 鞄の発展と知的財産 ~

豊岡鞄協会
「豊岡鞄®」が地域ブランドとして地域団体商標の登録を受けた2006(平成18)年当時、兵庫県鞄卸商業組合と兵庫県鞄工業組合、そして兵庫県鞄材料商協同組合とが、豊岡鞄協会を構成していました。紆余曲折あり、現在は兵庫県鞄工業組合が、「豊岡鞄®」を地域ブランドとして活発に活動しています。また、現存する団体としては、先に説明しました工業組合と、卸商業組合の2つです。
取材担当者
私どもで事前に調べた範囲では、高度経済成長期には、豊岡には300社を超える鞄関連企業が生まれ、全国生産の80%のシェアを占めるまでになったとあります。今も日本の4大鞄産地は東京・大阪・名古屋・豊岡。都市部でないこの地でここまで発展した経緯を教えていただけますか。
豊岡鞄協会
古くは奈良時代から記録が残っていますが、江戸時代に柳行李(やなぎごおり)生産の隆盛を迎えます。当時はこの辺りを治めていた藩が、独占企業的に生産をコントロールしていました。大正時代以降は、伝統技術と流通経路を基盤に、さまざまな新素材を使い、またミシン縫製技術の導入によって鞄の一大生産地となったわけです。
取材担当者
1909(明治42)年に宇川安蔵氏がバスケット籠を考案し、その後、奥田平治氏が柳行李に錠前を付けた「新型鞄」を創案したそうですね。彼らは、それぞれが豊岡という地で躍進的な発明をしたのでしょうか?それとも師弟関係で、技術やマインドが受け継がれたとか?
豊岡鞄協会
一部、関係があったようですが、ほとんどの人は個々が活躍したようです。その「全国シェア80%」のはじまりとなったのが、1936(昭和11)年にあったベルリン五輪の選手団の鞄に採用された豊岡製の、ファイバー製の鞄です。その後の戦争や不況で物資不足で一時衰退しますが、塩化ビニールレザーの登場で、再び活気づきます。
取材担当者
軽くて持ち運びがしやすそうです。
豊岡鞄協会
そうなんです。やがて1954(昭和29)年ころに、オープンケースという鞄が寺田宇之介氏により考案され、その後実用新案登録出願がされて登録されました。この実用新案権は、東京の「オープン協会」が管理していました。豊岡はその支部という関係でしたが、当時は東京、豊岡共に同じ程度の生産量を誇っていました。
取材担当者
当時のオープンケースは、型崩れを防ぐピアノ線に、金型の型枠を使っていますね。
豊岡鞄協会
そうです。ところが同じ時期に、東京の「オープン協会」に所属する遠藤松一郎氏が、本体と蓋部分をベニア板で作ったオープンケースを創作して、実用新案権を取得なさったようです。ここでちょっと問題が起こりました。「オープン協会」に所属していた豊岡のある方は、豊岡の業者だけに、その後に自身が発案されて登録された考案を無料で実施させてあげるとして製作させたようです。
取材担当者
そんなことがあったんですね。豊岡の業者に独占的に実施させたということですか。
豊岡鞄協会
そのようです。ベニア板なので、金枠のものよりずいぶん軽量化され、さらなる改良がされたのでしょう。こちらにより豊岡の鞄(オープンケース)は1954(昭和29)年から1955(昭和30)年にかけて一気に生産が増え、その後の数年間は販売量が東京を超えていました。一方、そのことで東京のオープン協会から裁判を起こされます。同じ「オープン協会」の中で、東京から離れた豊岡だけに勝手に実用新案権を使わせるな、という具合だったと記憶しています。
取材担当者
訴訟内容の詳細は、はっきり分かっていないのですね。
豊岡鞄協会
はい。結局「オープン協会」とは1964(昭和39)年11月に和解しています。協会そのものも数年後に解散したので、和解内容は不明です。
取材担当者
ところで、なぜその方は実用新案権を豊岡の業者に独占的に実施させたのでしょうか。そのおかげで豊岡の鞄産業は一気に全国レベルで発展したとは言えそうですが、同時に、他地域から豊岡の鞄産業を守ろうとしたようにも思えるのですが。
豊岡鞄協会
4大鞄産地でも、例えば大阪の地場産業で「鞄」と言われてもピンとこないでしょう?都市部で、多くの産業が集積しているので埋もれてしまって見えにくいのです。一方、豊岡は地方の小さな町ですから、主たる産業が限られており、鞄産業に関わる人間も多いのです。例えば、生地の裁断だけやる会社や、皮切り、型枠などに携わる会社など、豊岡という地域の中で分業されています。
取材担当者
なるほど。1社の中で分業しているのではなく、地域で分業しているんですね。そうすると1社だけが知的財産権を独占して生き残るのではなく、「町のみんなで地場産業を盛り上げましょう」となりますね。そうすれば、このエリアの中で鞄づくりも完結する。町がまるごと工場のようです。
豊岡鞄協会
豊岡の鞄は、まさに地場産業。だから実用新案権を取った技術も、独占せずに、豊岡の鞄産業に関わる企業で共有したのでしょう。ちなみに、豊岡で箱型鞄の製造を始めたという植村賢輔氏の90歳になる息子さんは、キャリーバッグについている小さな「コロ」を開発したと聞いています。
取材担当者
すごいですね。その後は海外からの製品の大量流入で、豊岡の鞄は、OEMで生き残ってきたそうですが、現在はOEMの割合はどの程度なのでしょうか。
豊岡鞄協会
90%ほどです。
取材担当者
まだそんなに高いのですか?
豊岡鞄協会
「豊岡鞄®」が生まれる前はほぼ100%でした。当時は豊岡製の鞄であることが表に出せませんでしたし、外部の識者からも、豊岡の鞄作業が低賃金である理由はOEMだと指摘されています。だからOEMの率を下げ、自社ブランドを立ち上げて単価を上げる必要があると提言されていました。またOEMは収益の波もあり、自分たちでコントロールすることができません。「豊岡鞄®」は、そうした不安定さをなくし、平準化する目的もあります。
取材担当者
「豊岡鞄®」のブランディングは、一種のリスクマネジメントの側面もあるのですね。しかしそれが実際にできるのも高い技術があってこそ、ですね。ちなみに海外展開はいかがですか。
豊岡鞄協会
コロナ禍以前はイタリアのミラノや米国への展開に積極的でしたが、現在は台湾が中心です。習慣の違いで日本仕様に手直しを加えるなどいろいろ工夫しております。台湾において苦労しているのは、地域団体商標としての登録です。実は、台湾ででも「豊岡鞄」で出願中ですが、なかなか審査が上手く進みません。今は、台湾の出願代理人や日本の窓口となる日本の弁理士の先生からご指摘いただいたところの修正を繰り返しています。
取材担当者
今後は東南アジア進出を?
豊岡鞄協会
まずは台湾ですね。直営店である豊岡鞄K-siteはすでに台湾に出店しているので、まずはそこで地固めです。
取材担当者
それにしても、町ぐるみの分業制に横串を刺すような、一貫した工程を学べる「豊岡鞄®」ブランドの存在は大きいですね。
豊岡鞄協会
東京のKITTEに引き続き、大阪のKITTEにも直営店である豊岡鞄K-siteを出店しました。ぜひ手に取って、「豊岡鞄®」に詰まっている製品の良さをご覧いただければと思います。
取材担当者
本日は貴重なお時間をありがとうございました。

Toyooka KABAN Artisan Avenue
兵庫県豊岡市内の「カバンストリート」にある、豊岡鞄の認定セレクトショップ。「アルチザン」と呼ばれ親しまれています。店内には約250種類もの鞄や財布、小物を揃えています。また、同じ建物の3階には鞄職人育成のスクール「Toyooka KABAN Artisan School」を併設。未来の鞄職人を育成しています。アルチザンは豊岡まちづくり株式会社の運営です。

一般社団法人 豊岡鞄協会
豊岡鞄協会は1823(文政6)年の、豊岡藩設立の「産物会所」からの流れを汲んでおり、以来、材料や製造、卸、貿易の各組合が幾多の離合集散を繰り返して、現在の形となっています。鞄製造は豊岡の地で育まれた地場産業です。地域経済の活性化と技術の伝承を目的に2006(平成18)年11月、地域ブランド「豊岡鞄®」の商標登録を受けました。以来、高い品質維持に努めながら全国へ認知を広げています。


2025年1月31日掲載

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