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知財歴史探訪 関西の企業の知的財産の創出や利活用の歴史を紹介します。
探訪先:株式会社トーア紡コーポレーション 

毛糸や毛織物の特性を踏まえて、
特許取得と秘匿化をケースごとに
使い分ける戦略を取ってきました

株式会社トーア紡コーポレーションは、大正時代に創業して以来、毛糸や毛織物を使った衣料品などの製造を続けてきた、紡績業界を代表する老舗企業。メーカーにとっての心臓部ともいえる、自社の製造ノウハウに関する知財意識の歴史とともに、創業時から登録されてきたという商標についてもお話を伺いました。

トーア紡コーポレーションの源流
取材担当者
今日は、長い歴史をお持ちの企業様に、これまでどのような知的財産に着目し、また知的財産を創出、利活用されてきたのか、歴史的な側面から伺いたいと思っております。
トーア紡コーポレーション
よろしくお願いします。
岩井勝次郎氏
取材担当者
まずは、御社の創業について教えてください。
トーア紡コーポレーション
創業者である岩井勝次郎氏は、明治時代、神戸の居留地にあった舶来品を扱う雑貨商で丁稚奉公をしていました。その後、1896(明治29)年に「岩井商店」として独立しています。
取材担当者
独立当初は、どんな商品を扱われていたのでしょうか。
トーア紡コーポレーション
丁稚先と同じ舶来品の雑貨を扱っていたそうです。そこから鉄製品や鉄鉱石の輸入を始め、毛糸や毛織物も扱うようになりました。
取材担当者
鉄製品から毛糸類にシフトされたということですか。
トーア紡コーポレーション
いえ、シフトしたわけではなく、並行してさまざまな商品を輸入していたと聞いています。 そして明治40(1907)年に、東京・品川の「白金莫大小(メリヤス)製造所」の経営に関わり、織物分野で製造事業に進出しています。
取材担当者
「メリヤス」とは、編み物の古い呼び方ですよね。
トーア紡コーポレーション
そうです。当時、同社のメリヤス肌着は高級品として知られており、大正天皇の乗馬ズボンを製造して献上したそうです。
取材担当者
織物会社の立ち上げに関わった経験が、御社の設立につながったのでしょうか。
トーア紡コーポレーション
もちろんその際に得た知見も活かされていたでしょうが、第一次世界大戦の勃発により海外製品の輸入が途絶えたことも影響していたと思います。輸入品に頼るのではなく、「世界一の毛糸」の内製化を目指し、1922(大正11)年、岐阜の大垣市に当社の前身となる「中央毛糸紡績株式会社」を設立しました。
1923(大正12)年から操業が開始された大垣工場には、当時の最新鋭の設備機械が並んでいた。
取材担当者
神戸で事業を始めた岩井氏が、なぜ大垣に工場をつくったのでしょうか。
トーア紡コーポレーション
あの地域は、地下水が豊富だったからです。海外から輸入された羊毛は、最初の洗浄工程や後の染色工程で大量の水が必要になるのです。加えて、羊毛は三重の四日市港で揚げられることが多かったため、距離的に近い大垣は便利だったのです。
取材担当者
四日市にも工場を持たれていますね。
トーア紡コーポレーション
当時、大垣や四日市は紡績各社の工場の集積地でした。そして、昭和16(1941)年に「錦華毛糸株式会社」と合併して「東亜紡織株式会社」 となり、その後も大小の合併を繰り返し、現在の「株式会社トーア紡コーポレーション」に至っています。
取材担当者
岩井氏は、御社のほかにも日本製鉄、ダイセル、トクヤマ、関西ペイント、日本橋梁など、さまざまな会社を立ち上げられていますね。
トーア紡コーポレーション
それらの会社は、岩井勝次郎氏ゆかりの会社でつくる親睦組織「最勝会」として、現在も交流が続けられています。
取材担当者
そうなんですね。実は過去に、「ちざい げんき きんき」の取材でダイセルさんにお邪魔したことがあります。雑貨商として鉄製品や毛織物を扱ったり、ダイセルさんのような化学品メーカーを立ち上げるなど、多岐にわたる分野で影響を残された方なのですね。
トーア紡コーポレーション
そうですね。ただ、ダイセルさんも元をたどると繊維の製造から始まっています。当時は、繊維素材の製造からスタートし、そこで培った化学技術を応用して、化学繊維やプラスチックの製造に移行していった企業が少なくなかったようです。
紡績業界の知財意識の変遷について
取材担当者
御社の創業時の知財意識に関してお伺いします。1922年の創業ということは、1884(明治17)年に日本初の商標法「商標条例」が制定されてから40年近く経っています。当時の御社や紡績業界においては、知財に対してどのようなスタンスだったかお分かりですか。
トーア紡コーポレーション
その点については、ブランドを担う商標と技術を担う特許とで分けてお話しする必要があります。というのも、当社では商標に関しては大正時代から登録していた記録が残っています。一方で、商品の製造方法に関する特許については、創業当時は権利化しようという気持ちはなかったようです。
取材担当者
そうなんですね。では、メーカーさんの核ともいえる、商品の製造に関わるお話からお聞かせください。なぜ、当時は製造方法の特許に関する権利化の意識があまりなかったのでしょう。
トーア紡コーポレーション
理由は単純で、例えば当社が初めに製品化した糸は、普通に輸入されていた紡績機械を使って製造していたからです。
取材担当者
つまり、同じ機械があれば同じ糸を作れたわけですね。
トーア紡コーポレーション
そうなんです。同時に、殖産興業の時代でもありましたから、糸や織物は生活必需品として大量に作ることが優先されていました。そのため、特許のことを気にする余裕もなかったのではないかと推測しています。
取材担当者
その点は、同業他社においても同様だったのでしょうか。
トーア紡コーポレーション
しっかり作って市場に送ることが優先事項だった点は、どの紡績会社も変わらなかったと思います。また、その頃はヨーロッパから指導員を招き、教わりながら作っていた時代です。特許以前に、製品の差別化もされていない段階だったと思います。
取材担当者
ちなみに、指導員はどこの国の方が来られていたのでしょうか。
トーア紡コーポレーション
毛織物は圧倒的にヨーロッパが先進地域でしたから、フランスやイギリス、後にドイツからも招いていたようです。そうした指導と日々の製造業務の中から、次第に各社において工夫が生まれていきました。
取材担当者
それが、独自の製造ノウハウにつながっていったのですね。
トーア紡コーポレーション
はい。時間をかけて蓄積されていった製造ノウハウは、まず生産設備に活かされました。当社でも独自にカスタマイズした技術を反映させるように、国内の設備メーカーに依頼するようになりました。
取材担当者
例えば、どのような改良をされていたのでしょうか。
トーア紡コーポレーション
すべては把握していませんが、当社は自然由来の羊毛を扱っていたため、品質を保つのに理想的な量の水や梳毛油を羊毛に加えるよう改良してきました。そのほか、生産性を向上させるため各工程の巻き取量を増加させるラージ・パッケージ化が主だったようです。
取材担当者
具体的にどのような要因でしょう。
トーア紡コーポレーション
糸を巻き取る際に発生する「糸切れ」や、繊維がローラーなどに巻き付くなど、流れ作業の中でのロスをセンシングによって減らし、歩留まり率を上げるための改良です。
取材担当者
紡績各社が、自社の製造ノウハウをもとに国内設備メーカーと一緒に研究を重ね、カスタマイズを繰り返していったのですね。
トーア紡コーポレーション
その結果、それまではどこも定番の太さの糸しか作っていなかったのが、次第に細い糸や、風合の違う糸を作るようになるなど、製品の多様化、ひいては差別化が生まれていきました。
取材担当者
そうした傾向は、いつ頃から見られるようになったのでしょうか。
トーア紡コーポレーション
特に進んだのは戦後です。第二次大戦で国内の工場の多くが破壊されたのち、復興の過程で国内の設備メーカーが新たに出てきたことで、自社の製造ノウハウを活かしたい紡績各社と協働する動きに加速がかかったのでしょう。実際、高度成長期には、構造の異なる多種多様な糸が市場に流通するようになりました。
取材担当者
その辺りから、製品の特許に関しても意識されるようになったのでしょうか。
トーア紡コーポレーション
そうですね。1970年の大阪万博の頃から生活の洋式化が進み、糸や毛織物へのニーズも多様化しました。そうした動きとともに、紡績業界でも製品自体の特許化に向けた意識が芽生えてきたように感じます。
その当時の毛糸商品
これまでの知財対応について
取材担当者
そうした流れの中、御社でも積極的な特許出願が行われるようになったのでしょうか。
トーア紡コーポレーション
いえ、製造方法に関する技術開発を意識するようになったことで、当社ではそれらを特許として権利化するのではなく、あえて秘匿する方針を選択してきました。
取材担当者
それはなぜでしょう。
トーア紡コーポレーション
理由はいくつかあります。まず、私が入社した約40年前には、すでにさまざまな製造ノウハウが蓄積されており、女工さんのための作業説明書である「作業マニュアル」と、各種原材料の配合比などが書かれた「製造マニュアル」に分けられていました。女工さん用の作業説明書と違い、製造マニュアルは社外秘ですから、ごく一部の責任者しか見ることができないよう厳重に管理されていました。そのため、競合他社に製造ノウハウが漏洩することはないと判断し、公開が前提である特許の取得を避けたのです。
取材担当者
ということは、御社の製造ノウハウが書かれた「製造マニュアル」の内容は、特許につながる可能性があると認識されていたのですね。
トーア紡コーポレーション
していました。コモディティ化していた「定番糸」の製造方法は特許されなかったでしょうが、新しく開発された糸の製造方法については特許権として権利化されていたと思います。
取材担当者
新しい糸とは、具体的にどのような糸だったのでしょうか。
トーア紡コーポレーション
例えばニットだと、これまでにない柔らかさや肌触りとか、独特の膨らみ具合を持った糸などです。紡績各社がそうしたオリジナルの糸を作り始めていた時期だったため、特許権を取得しても製造方法が公開されれば、模倣品が市場に出回る危険性があると判断したのです。
取材担当者
それはつまり、御社の最終製品だけを競合他社の方が見ても、そこから製造方法を分析して解明するリバースエンジニアリングは難しいということですね。
トーア紡コーポレーション
おっしゃる通りです。それが、あえて秘匿する方針を採用したもうひとつの理由です。最終製品だけを見ても、その製品独特の風合いなどは再現が難しいのです。
取材担当者
プロが見れば製造方法はある程度、解明できるのだと思っていました。
トーア紡コーポレーション
意外とそうでもないのです。なぜなら、当社では羊毛の選別からスタートし、長い工程の中でさまざまな工夫を施しながら製品化しているからです。
取材担当者
仮に、紡績の段階だけ理解できたとしても、すべての工程を理解しないと模倣が難しいということですね。
トーア紡コーポレーション
そういうことです。とはいえ、根本は長年蓄積してきた製造ノウハウであり、誰かがひらめいた唯一無二の発明ではありません。そのため、もし製造方法を他社に模倣されたとしても、それが当社のノウハウで作られた物なのか、市場で購入して確認するだけでは判別が難しいのです。そうした理由から、特許出願をして公開する方がリスキーだと判断しました。
取材担当者
その方針は、どんなケースでも採用されてきたのでしょうか。
トーア紡コーポレーション
いえ。私が入社当時参加した、世界初の「溶剤による洗毛システム」の開発では、10数件の特許が登録されています。
取材担当者
それはどのようなシステムでしょうか。
トーア紡コーポレーション
羊毛を洗浄する際に出る泥などの産廃を、溶剤を使って洗浄することでゼロ・エミッション※化できるシステムです。泥は捨てずに肥料に変え、ウールグリースは副産物として販売し、水もほとんど使わないため一番問題だった排水も少ない上に、溶剤は回収して再利用できる循環型のシステムです。このシステムを他の羊毛メーカーに洗毛設備として販売するつもりだったため、10数件の特許が登録されました。
取材担当者
お話をまとめると、御社では最終製品を手にとっても製造方法が解明されないようなケースでは特許出願をせずに秘匿し、逆に、世に出したら確実にその特徴や仕組みなどが判明してしまう場合は、特許権の取得をされてきたということですね。
トーア紡コーポレーション
その通りです。
取材担当者
商標権を古くから登録していた理由も、その方針に則っていますね。
トーア紡コーポレーション
商標こそ、一度目にされれば簡単に模倣されてしまいますから。
取材担当者
そのように事案ごとに知的財産に対する取り扱いを変えることも、一つの選択肢ですね。自社の知的財産を公開するべきか秘匿するべきか迷われている企業には、非常に参考になるお話だと思います。

※ゼロ・エミッション:廃棄物の排出(エミッション)をゼロにするという考え方
商標権について
取材担当者
では、御社が登録されてきた商標についてお聞かせください。
トーア紡コーポレーション
記録に残っている最も古い商標は、1925(大正14)年の登録で、円の中に「BEST QUALITY」などの英字が並べられたロゴマークです。ただこの商標は現在では失効となっています。
取材担当者
今も権利が継続中の商標で、最も古いものは分かりますか。
トーア紡コーポレーション
1955(昭和30)年に出願された「CHORUS(コーラス)」という毛糸製品の名称です。そのほかにも、社名の略称のローマ字表記「TOABO」や、カタカナ表記の「トーアボウ」なども含め、商品の名称やロゴマークなど失効分も含めると約1500件近くの商標登録をしてきました。
取材担当者
製造方法に関する特許とは異なり、商標登録は積極的に行われてきたのですね。
トーア紡コーポレーション
一時期、「カネボウ」さんや「トウヨウボウ」さんのように、紡績各社が社名を縮めてカタカナ表記する流れがあったのです。
本社内に飾られている、昭和30年頃につくられたホーローびきの看板
取材担当者
より呼びやすく、親しみやすい通称を浸透させることでブランド化を図っていたのですね。
トーア紡コーポレーション
その頃は、高度成長期で毛糸などもよく売れ、紡績各社がテレビCMも流していた時代でしたからね。当社でもCMを流したり、「トーア坊や」というキャラクターをつくったりしました。このキャラクターに関しては、「トーア坊や」という名称ロゴを商標登録しています。
トーア坊やのマスコット人形
取材担当者
蓄積してきた製造ノウハウを活かして品質を上げつつ、自社製品を覚えてもらう取り組みの一つとして、商標を利用されてきたのですね。
トーア紡コーポレーション
技術的な差別化が簡単ではない糸や毛織物を扱う中で、キャッチーな商品名や分かりやすい社名で消費者に訴求しようという意識はありました。
商標登録されている「トーア坊や」のロゴ
取材担当者
購買のきっかけがネーミングであったとしても、実際に使って品質が良ければリピーターになってくれるわけですからね。
トーア紡コーポレーション
ただ、昭和50年代後半にもなると、すでに毛糸市場は縮小していました。当社でも、その頃はもうCMは流していなかったと思います。さらに、それ以降になると、もう業界内で競い合う時代ではなくなり、特に近年においては競合他社と蓄積してきた製造ノウハウを共有するようになっています。
取材担当者
例えば、どのように共有されているのですか。
トーア紡コーポレーション
羊毛業界で、SDGsをテーマにした製法を議論したり、共同で展示会に参加するなど、ずいぶん意識は変わりました。
取材担当者
そうした変化の境目はいつ頃でしたか。
トーア紡コーポレーション
ちょうど、2000年くらいだったかと思います。
取材担当者
毛糸や毛織物市場が縮小していっている今、互いのノウハウを共有し合って、支え合う時代に入ったということでしょうか。
トーア紡コーポレーション
その通りです。廃業された紡績会社もたくさんある中、今も残る我々が協力して国内供給量を確保しつつ、業界全体を盛り上げていかなければならないと考えています。
取材担当者
わかりました。本日は紡績業界の歴史を背景に、製造ノウハウを特許登録する際の判断のポイントなど、長年の歴史がある企業様だからこそお聞きできる話がたくさんあり、大変参考になりました。ありがとうございました。
トーア紡コーポレーション
こちらこそ、ありがとうございました。

株式会社トーア紡コーポレーション
1922 年(大正11 年)、羊毛を原料とした糸や毛織物の製造・販売を開始。以来、毛糸や毛織物といった衣料用品を中心に事業を展開。一般向けとしては背広や中学・高校などの学校制服を手がけ、官公庁向けには自衛官や警察官の制服などを扱っている。また、近年では自動車の内装に使われる不織布やカーペットといった繊維系産業資材のほか、ファインケミカル、エレクトロニクス、ヘルスケア、不動産など多様な分野にも進出し、事業の多角化を図っている。2003年、東亜紡織やトーア紡マテリアルなどを子会社として設立された持株会社。


2024年3月13日掲載