平成21年12月22日判決 知的財産高等裁判所 平成21年(行ケ)第10080号
- 審決取消請求事件 -
- 事件名
- :使い捨て温熱身体ラップ事件
- キーワード
- :進歩性/周知技術/動機付けの不存在
- 関連条文
- :特許法17条の2第6項(平成18年改正前においては,同条同法第5項),同法126条5項,同法159条1項,同法53条1項,同法29条2項
- 主文
- :特許庁が不服2006-14801号事件について平成20年11年10日にした審決を取り消す。
1 事案の概要
訴外会社は,平成11年9月15日に,アメリカ合衆国において行った特許出願に基づくパリ条約による優先権を主張して,平成12年9月6日に日本を指定国に含む国際出願(名称:使い捨て温熱身体ラップ)を行い,平成17年8月15日,手続補正書を提出したが,平成18年4月11日発送の拒絶査定がされた。訴外会社は,平成18年7月10日不服の審判を請求したのに対し(手続き補正書は,同年8月2日に提出。以下,「本件補正」という。),特許庁は,かかる請求を不服2006-14801号として審理し,平成20年11月10日,本件補正を却下した上,「本件審判の請求は,成り立たない。」との審決を行い,平成20年11月25日訴外会社に送達された。
そこで,平成20年9月30日,訴外会社から,本件出願に係る発明につき特許を受ける権利を譲り受けた原告が,上記審決に対し,その取消しを求めた事案である。
2 本件補正後の請求項1の記載(下線部が補正箇所を指す。)
(a) |
ほぼ薄板上で,第1側部,第2側部,第1端部と第2端部を有する長手軸,この長手軸と平行に並び,第1端部と第2端部で終焉する第1縁部と第2縁部,及び前記第1端部と第2端部のほぼ中心において前記第1縁部及び前記第2縁部よりも幅の狭いくびれ部を有する可撓性材料からなる少なくとも1つの連続層と, |
(b) |
発熱組成物を含む複数のヒートセルであって,各ヒートセルは隔離されると共に可撓性材料からなる前記少なくとも1つの連続層に固定されるか,または前記少なくとも1つの連続層の内部に固定され,各ヒートセルは,前記長手軸に対して,ほぼX字型に隔離併設される,複数のヒートセルと, |
(c) |
前記第1端部と前記第2端部あるいはこれらの近接に併設され,使用者の身体に温熱身体ラップを取り外し可能に取り付けるための手段とを有する一体積層構造体を備え,前記取り付け手段は,確実な初期および長期的取り付けや取り付け直しを可能にし,皮膚から簡単にかつ痛みのない取り外しができ,前記ラップの取り外し後に皮膚にほとんど残留しない,使い捨て温熱身体ラップ。 |
3 争点
本件補正発明において,引用発明1(米国特許第5674270号)に参考例2(登録実用新案第3022784号公報)を適用して,下記相違点2に係る構成とすることができるか(進歩性の有無)。
4 判決の要旨
(1) |
審決の概要
審決は,本件補正発明と引用発明1との一致点及び相違点を以下の通り2点とした。
ア |
一致点
a) |
ほぼ薄板上で,第1側部,第2側部,第1側部と第2側部を有する長手軸,この長手軸と平行に伸び,第1端部と第2端部で終焉する第1縁部と第2縁部を有する可撓性材料からなる少なくとも1つの連続層と, |
b) |
発熱組成物を含む複数のヒートセルであって,各ヒートセルは隔離されると共に可撓性材料からなる前記少なくとも1つの連続層に固定されるか,または前記少なくとも1つの連続層の内部に固定され,各ヒートセルは,隔離配設される,複数のヒートセルと, |
c) |
使用者の身体に温熱を与えるように温熱身体ラップを取り外し可能に取り付けるための手段とを有する一体積層構造体を備えた使い捨て温熱身体ラップ。 |
|
イ |
相違点
審決においては,3つの相違点が認められたが,本件判決では相違点2についてのみ判断されたことから,相違点2についてのみ,紹介する。
相違点2:本件補正発明のヒートセルは,長手軸に対してほぼX字型に隔離配設されているのに対して,引用発明1のヒートセル(セル16)は,隔離配設されているものの,X字型の配設ではない点 |
ウ |
相違点2についての審決の内容
引用発明1において,その使用目的から見て,使用者が装着している時,使用者の身体又は各部位のさまざまな領域の運動に順応することは,当然に要求される事項と認められるところ,そのような目的の配置として,X字型の配設は,従来周知(参考例2の図4,5,【0013】)の技術であり,それぞれが隔離配設される引用発明1においても運動に順応する周知の技術を適用して相違点2に係る本件補正発明の発明特定事項のようにすることは当業者が容易に想到し得たことである。 |
|
(2) |
原告の主張の概要
本稿では判決で判断が示された相違点2についての判断の誤り,すなわち,取消事由2のみ触れることとする。
ア |
周知技術の認定の誤りについて
参考例2には,各ヒートセルのX字型の隔離配設の点はおろか,ヒーセルの配置の仕方に関する記載がない。参考例2の図4,5から見てとれるのは,サポータの不織布11の形状がX字型をしているというだけであり,皮膚接触区層2をX字型に配設するなど記載されておらず,何らヒートセルの配置の特徴を理解できるものではない。 |
イ |
相違点2の判断におけるその他の誤りについて
引用発明1に記載されている温熱パッドは,腹部や額などゆるやかなカーブを持つ身体の部位に使用することを目的としたものである。また,引用例1には,衣服に接着して腹部に熱を与え生理痛を緩和する温熱パッドが記載されているだけであり,想定される他の用途を加味したとしても,頭痛緩和のためのスウェットバンドに接着して額に熱を与える用途しか記載されていない。よって,「使用者の身体または各部位のさまざまな領域の運動に順応することが当然に要求されている。」「それぞれが隔離配設される引用発明1においても,運動に順応する周知の配置を排除する格別の事情は認められない。」という審決の判断は誤りである。 |
ウ |
容易想到性
引用発明1と参考例2とを組み合わせた場合を想定したとしても,参考例2の技術的教示を適用すべき対象も当該引用発明1の外側布地の形状となるはずである。よって,参考例2に記載されている不織布の外形形状が,引用発明1のヒートセルの配置にまで適用されるなどというのは,本件補正発明を見たからこそいえる,後知恵的発想である。 |
|
(3) |
被告の主張の概要(同様に取消事由2に対する反論のみ触れる。)
ア |
周知技術の認定の誤りについて
参考例2の【0013】の記載によると,サポータを関節部分に適用する際,活動する部分での使用に適合するため,X状の裁断を採用し,皮膚接触区層2もX字型に配設した例が示されているから,参考例2には,適用する部位の運動に順応する配置として,X字型の配設という周知技術が示されている。また,引用発明1の温熱パットの外形を,参考例2に倣ってX状にすれば,隔離配設された複数のヒートセルの配置も,その外形に沿ってX状とすることが自然であるから,相違点2に係る構成が容易想到であることに相違ない。 |
イ |
相違点2の判断におけるその他の誤りについて
引用例1(1欄5~11行)の記載によれば,腹部に熱を与え生理痛を緩和するための温熱パッドは,腹部以外の部位へ適用する温熱パッドが排除されていないことは明らかである。また,引用例1は,使用者の腹部に沿うようにして接着するものであるから,腹部の湾曲に沿うように曲がるなどの動きに順応できるようにすることは,温熱身体ラップを身体の所定の部位に対してしっかり維持する上で,当然の要求である。 |
ウ |
容易想到性
温熱身体ラップを関節部分等,活発に活動する部分へ適用することは例示するまでもなく周知であるから(参考例2,乙2),引用例1に明示的記載がなくともこれらの部位へ適用することは当業者であれば想到できることである。 |
|
(4) |
裁判所の判断
ア |
本件補正発明におけるX字型の隔離配設の意義
裁判所は,請求項1の記載,及び本願明細書の各段落の記載を参酌した上で,温熱ラップの長手方向中心にくびれ部が形成され,ヒートセルがX字型に配設されていることで,使用者が装着しているときに温熱ラップがねじり曲がり,身体部位のさまざまな領域に順応し,四肢の曲げ能力を妨害したりしないという意義を有するものと認定した。 |
イ |
参考例2に記載された事項
参考例2の請求項1及び参考例2の明細書の各段落の記載,図4及び図5を参酌した上で,参考例2に示されたサポータは,関節部位に適用され,関節を被覆するものであり,X字型になっているのは,関節部分に使用するサポータの形状であり,電熱片(電熱線)そのものがX状に布設されているわけではないと認定した。 |
ウ |
本件審決の相違点2に係る判断の当否
裁判所は,上記審決の相違点2についての判断内容を引用した上で,以下の通り,判断を行った。
「イ しかしながら,前記(2)の認定のとおり,参考例2に示された関節部位に適用されるサポータにおいて,X状になっているのは,関節部分に使用するサポータの形状であり,電熱片(電熱線)そのものがX字型に布設されているわけではない。・・・参考例2に示されたサポータは,上記のように装着することにより,肘の折り曲げ内側にはサポータ片が存在しないため,肘を屈伸しても,サポータが障害とならないことから,参考例2のサポータは,活発に活動する関節部位の使用に適合するとされ,またそのためにサポータの全体形状がX状とされているものと解される。 |
ウ |
他方,前記(1)認定の事実によれば,本件補正発明のヒートセルがX字型に隔離併設されているのは,身体のねじれのような斜め方向の曲げに対して,ヒートセルが障害とならず,全体形状としては長方形に近い温熱身体ラップが,ねじれに追随して曲がりやすいことを意味し,これにより身体の様々な領域に順応することができるとされているものと解される。 |
エ |
上記イ,ウのとおり,参考例2のサポータが全体形状としてX状であることと,本件補正発明の全体形状としては長方形に近い身体温熱ラップにおいて,ヒートセルがX字型に隔離して配設されることはX状ないしX字型といっても,その意義ないし機能は本質的に異なるものであり,またそれにより身体の適用可能な部位も異なることになる。
このように,X状ないしX字型に関する両者の意義ないし機能が異なるのであるから,参考例2における,内部に電熱線が均一に布設されたサポータが全体形状としてX状にされている構成のうち,「X状」という技術事項のみを取り出し,本件補正発明の身体温熱ラップに存在するヒートセルの配設の形態に適用する動機付けは存在せず,引用発明1に参考例2を適用して,相違点2に係る構成とすることはできないといわざるを得ない。(注・下線部は,筆者が加筆。) |
オ |
本件審決は,「使用者が装着している時,使用者の身体または各部位のさまざまな領域の運動に順応することは,当然に要求される事項」とした上,「そのような目的の配置として,X字型の配設は,従来周知」として,参考例2を挙げるが,参考例2をもって,上記周知技術ということはできない。そして,他に,上記事項が周知であることを認めるに足りる証拠はない。 |
カ |
したがって,引用発明1に周知技術を適用して相違点2に係る構成を想到することが当業者にとって容易であるとした本件審決の判断は,誤りといわなければならない。」 |
エ |
特許庁の主張に対する判断
裁判所は,特許庁の上記(3)アの主張に対しては,[1]参考例2に示されたサポータにおいてX状になっているのは,関節部分に使用されるサポータの形状であり,電熱片(電熱線)そのものがX状に布設されているわけではないから,X字型の配設という周知技術が示されていない[2]引用発明1の温熱パットの外形は,引用発明1の温熱パッドの外形をX状にしたとしても,その内部のヒートセルの配設形状としては,様々な形状が取り得るものであり,必然的にX字型になるわけではない等の理由から斥け,上記(3)イの主張及びウの主張に対しては,温熱パッドが運動に順応することが要求され,活発に活動する部分へ適用することが想到できるとしても,ヒートセルをX字型に配設することによって運動に(活発に活動する部分に)順応することが周知であるとはいえないとの理由で斥けている。 |
オ |
結論
取消理由2には理由があるから,本件補正発明の進歩性の判断を誤り,独立特許要件を欠くとして本件補正を却下した本件審決は違法であると認定した。 |
|
5 執筆者のコメント
(1) |
裁判所は,本件補正発明と参考例2のX状ないしX字型の技術的意義及び機能は本質的に異なるものであるとして,引用発明1に参考例2を適用して相違点2に係る構成とすることはできないと結論づけている。この点,前者は,身体温熱ラップにおいてヒートセルがX字型に隔離して配設されることを指し,後者は,サポータが全体形状としてX状であることを指すことに争いがない。そして,後者を見て,ヒートセルまでもX字型にしようと通常,当業者は,想定しないのであろうから,審決の認定は,強引といわざるを得ず,本件判決の結論に賛成する。 |
(2) |
本件判決は,動機付けの有無を検討するにあたって,参考例2の技術事項のうち,「サポータ全体」という対象物を捨象し,「X状(X字型)」という特定の技術事項のみ取り出して,これをもって「ヒートセル」という他の対象物に適用するという動機付けは存しないと判示した点に意義を見出すことができる。 |
関連
(執筆者 白木 裕一 )
« 戻る