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平成17年2月17日判決 東京高裁 平成16年(行ケ)第83号
- 数値限定発明における特許法第29条の2の「同一」の解釈について -
- 審決取消訴訟 -

主 文 : 原告の請求を棄却する。
特許第2619728号
無効2002-35464号



1.事件の概要
尖針などで印字できる記録紙の数値限定発明(以下、「本件発明」という。)の特許に対して、29条の2違反を理由とする無効審判が請求された。特許庁は、本件発明が先願明細書に記載された発明(以下、「先願発明」という)と同一でないことを理由に、無効審判請求を棄却した。これに対する審決取消訴訟で、裁判所は、本件発明と先願発明との同一性を否定した審決の判断には誤りがあるとして、審決を取り消した。


2.本件発明
本件発明は、以下の構成を有している。
【請求項1】下記(A)と(B)の重量比が1から3の範囲の組成物からなる隠蔽層(5)が1から20ミクロンの膜厚で着色原紙(1a),(1b)の表面に形成されたことを特徴とする,記録紙。
  (A)隠蔽性を有する水性の中空孔ポリマー粒子
  (B)成膜性を有する水性ポリマー


3.審決の概要
審決は、以下のように認定して、本件発明と先願発明が同一でないと認定した。
「(先願明細書には)『隠蔽層』についても,『(A)〔隠蔽性を有する水性の中空孔ポリマー粒子〕と(B)〔成膜性を有する水性ポリマー〕の重量比が1から3の範囲の組成物からなる』こと,及び『1から20ミクロンの膜厚で着色原紙の上に形成された』ことについて,実質的に記載されているとは認められない」


4.裁判所での当事者の主張
4-1.原告の主張
「先願発明の感熱記録体の感熱層中に含まれる中空球体状微粒子の含有量は,「発色性の点から感熱層の全固形分の30~100重量%が好ましい」(5頁第2段落)の記載及び単純な算式から,(A)/(B)は,重量比で0.43から∞(無限大)の範囲であることが簡単に判明し,「重量比が1から3」の範囲では,先願発明と本件発明とは重複し,先願明細書には,「(A)と(B)の重量比が1から3の範囲」であることが開示されているということができる。」「発明の目的及び効果には格別の差異が生じないような単なる構成の変更,例えば,単なる数値の限定に相当する場合には,発明は実質的に同一であるとされるところ,本件発明の「(A)と(B)の重量比が1から3の範囲」は,発明の目的及び効果には格別の差異が生じないような単なる構成の変更であり,技術的意義はないから,本件発明は,先願発明と実質的に同一である。」


4-2.被告の主張
先願明細書(甲16添付)から,中空球体状微粒子と水溶性バインダーの比が「0.43~∞(無限大)」の範囲であることが導かれたとしても,その範囲中,特に「重量比が1から3の範囲」であることについては,先願明細書に記載も示唆もない。」


5.判決
審決は,本件発明は,「隠蔽層」について,(1)(A)と(B)の重量比が1から3の範囲であること,(2)1から20ミクロンの膜厚であることの2点,すなわち,(1)の重量比及び(2)の膜厚に係る各数値限定において,本件発明は,先願発明との同一性が否定されると認定判断したものであると理解される。ところで,数値限定発明の同一性の判断に当たっては,数値限定の技術的意義を考慮し,数値限定に臨界的意義が存することにより当該発明が先行発明に比して格別の優れた作用効果を奏するものであるときは,同一性が否定されるから,上記数値限定によって先願発明との同一性が否定されると判断するには,その前提として,本件発明の数値範囲が臨界的意義を有するものであるか否かを検討する必要があるというべきである。しかしながら,審決は,本件発明の上記(1),(2)の数値範囲の臨界的意義を何ら検討していないことが,その説示から明らかである。
以上検討したところによれば,本件発明と先願発明との同一性についての審決の認定判断は誤りというほかはなく,原告の取消事由1の主張は理由がある。


6.検討
裁判所は、端的に言うと、数値限定に臨界的意義がある場合に限って先願発明との同一性が否定されると判断し、審決を取り消したが、筆者の立場では、この判断基準に同意することができない。以下、その理由を詳述する。

6-1.特許法及び29条の2の趣旨からの検討
特許法は、発明公開の代償として特許権を付与することとしており、発明公開によって技術の進歩を促進し、産業の発達に寄与することを目的としている。29条の2の規定が存在し、先願明細書に記載された発明と「同一」の後願発明を拒絶することとしているのは、先願明細書に記載された発明と同一の発明を公開しても技術の進歩に寄与しないからであると解されている。
29条の2の「同一」の解釈は、29条の2の趣旨から考える必要がある。29条の2の趣旨から考えると、後願が公開した発明が技術の進歩に実質的に寄与しない場合は、その発明は、先願発明と「同一」であると判断されるべきであるが、後願が公開した発明が技術の進歩に多少なりとも寄与をする場合には、その発明は、先願明細書に記載された発明と「同一」であると判断すべきでないと思われる。
筆者は、数値限定発明は、以下の4つに分類できると考えている。
(1) 数値限定に全く技術的意義のないもの
(2) 数値限定に技術的意義はあるが、その意義が先願明細書に記載されているもの
(3) 数値限定に技術的意義があり、その意義が先願明細書に記載されていないもの
(4) 数値限定に臨界的意義があるもの

(1)のように全く技術的意義がない場合、後願の数値限定発明は、先願発明と同一であると判断するしかないと思われる。(2)のように数値限定に付された意義が先願明細書に記載されている場合には、後願発明の開示が技術の進歩に実質的に寄与しないので、先願発明と同一であると判断してよいと思われる。(3)のように数値限定に付された意義が先願明細書に記載されていない場合は、後願発明の開示は、多少なりとも技術の進歩に寄与するといえるのではないか。そうであれば、このような場合は、後願発明は、先願発明と同一であると判断すべきでないと思われる。(4)のように数値限定に臨界的意義がある場合には、後願発明は、先願発明と同一であると判断すべきでないのは当然である。
本事件において、裁判所は、臨界的意義があるかどうかに基づいて同一性の判断をし、審決を取り消した。筆者は、本事件での後願発明は、上記(3)に該当するものであり、このような発明は、先願発明と同一であると判断すべきでないと考えている。
ここで、本事件での先願明細書及び後願明細書に記載されている数値限定の技術的意義について検討する。
先願明細書には、「感熱層中に含まれる中空球体状微粒子の含有量は、発色性の点から感熱層の全固形分の30~100重量%が好ましい。」と記載されている。感熱層は、水性ポリマー(A)と中空球体状微粒子(B)とからなるので、(A)/(B)=0.43~∞(無限大)であることが好ましいことを示している。先願明細書では、発色性の観点から(A)/(B)の値についての検討がなされているのみである。
一方、後願明細書には、請求項1には、(A)/(B)=1~3である旨が記載されており、明細書中には、「重量比が1未満のときは十分な遮蔽性が得られず、しかも室温の記録ペンのペン圧で中空孔ポリマー粒子が潰れ難くなり、記録できない。また、重量比が3以上となると実用可能な遮蔽層を形成することができない。」と記載されている。後願明細書では、遮蔽性、ペン圧による記録性、遮蔽層形成容易性の観点から(A)/(B)の値についての検討がなされている。
両者を比較すると、後願発明の数値範囲(1~3)は、先願発明の数値範囲(0.43~∞)よりもはるかに狭いものであり、後願明細書には後願発明の数値範囲について、先願明細書には記載されてない技術的意義(すなわち、数値範囲の上限及び下限の理由づけ)が記載されている。特に、後願明細書では、ペン圧による記録性との関係についても検討がなされているが、このような検討は、先願明細書においてなされることはありえず、後願明細書独自のものである。なぜなら、先願発明は、感熱記録紙に関するものであり、ペン圧とは無関係だからである。先願明細書の開示からは(A)/(B)をどのような値にすればよいか検討がつかないが、後願明細書の開示によって(A)/(B)の適切な値が多少なりとも明らかになっている。これは、後願明細書の開示が多少なりとも技術の進歩に寄与することを示している。このようなケースにおいて、後願発明を29条の2の規定によって拒絶することは、29条の2の趣旨から外れているように思われる。


6-2.先願との関係、発明公開の促進の観点からの検討
ここで、別の観点からの検討を行なう。筆者の立場では、後願発明が特許されやすくなり、後願発明が先願発明の利用発明になる場合には、先願発明の実施を制限し、先願の出願人にとって酷な結果となるのではないかとも考えられる。しかし、筆者の立場であっても、先願明細書に記載された内容については後願特許が成立することはないのだから、先願明細書の記載を充実させることによって後願特許の成立を妨げることができ、先願の権利者に酷とまでは言えないと思われる。
また、より確実に後願を排除するには、より明細書を充実させて、発明をより詳細に開示することが必要になる。従って、後願排除の範囲を狭く解し、後願発明を特許されやすくすることは、発明の開示を促進する。このように開示を促進することは特許法の目的に適うものであると思われる。
但し、明細書を充実させるにも限界があるので、後願発明があまりにも簡単に特許されてしまうと、やはり、先願の出願人に酷であるとも言える。従って、後願発明による技術の進歩の寄与があまりにも小さい場合には、後願発明は、先願発明と同一であると解すべきである。ここまで述べた筆者の立場は、後願発明に甘すぎ、後願発明の数値限定には、より高いレベルの技術的意義を求めるべきかも知れない。同一性の判断基準としては、例えば、「数値限定の技術的意義が先願明細書に記載されていないことに加え、その技術的意義が、当業者において周知でないこと」や、「数値限定の技術的意義が実験的に裏付けられていること」などいくつかの基準が考えられ、そのような基準で判断すべきかも知れない。しかし、裁判所のように、数値限定に臨界的意義を求めるというのは、あまりにもハードルが高すぎるのはないだろうか。


6-3.進歩性の判断基準とのバランスからの検討
臨界的意義の有無は、一般に、数値限定によって進歩性の基準をクリアできるかどうかの判断に用いられる。進歩性の有無の判断においては、対象となる発明は、公知発明の内容を知った上でその発明に数値限定を付したものに過ぎないので、そのハードルが高くなるのは当然である。一方、29条の2の後願発明は、先願発明の内容を知らずに先願発明を完成させ、さらに数値限定を付したものである。先願発明の内容を知らずになしたものなのだから、進歩性の場合よりもハードルが低くなるのは当然だと思われる。このような観点からも、29条の2の後願発明の数値限定には、臨界的意義を求めず、それよりも甘い基準で判断すべきではないだろうか。


ここまでの内容を簡単にまとめる。筆者は、29条の2の後願発明の数値限定には、臨界的意義を求めるべきでないと考える。その理由は、次の3つである。
(1) 数値限定に臨海的意義がないことを理由に、多少なりとも技術の進歩に寄与する後願発明を拒絶することは、29条の2の趣旨に適わない。
(2) 29条の2の後願排除の範囲を狭く解することは、発明開示を促進し、特許法の目的に適う。
(3) 進歩性の判断基準とのバランスから、29条の2の後願発明の数値限定は、進歩性の判断基準よりも甘い基準で判断すべきである。


(執筆者 伊藤  寛之 )


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