平成20年3月27日判決 知的財産高等裁判所 平成19年(行ケ)第10147号
- 審決取消請求事件 -
- 審決取消請求事件 -
- 事件名
- : 平成19年(行ケ)第10147号 審決取消請求事件
- キーワード
- :サポート要件、拡張ないし一般化
- 関連条文
- :特許法第36条第6項第1号
- 主文
- :原告の請求を棄却する。
1.事件の概要
被告が有する特許「ソーワイヤ用ワイヤ」につき特許異議の申立てがなされ、被告はこれに対し訂正請求、訂正審判請求を行った結果、訂正が認められ特許が維 持された。原告により無効審判請求がされ、特許庁においてこれを棄却する審決がなされた。本件は、原告がその取消しを求めた事案である。
訂正発明の請求の範囲第1項(下線が訂正部分)は、「シリコン、石英、セラミック等の硬質材料の切断、スライス用に用いられるソーワイヤであって、径サイズが0.06~0.32mmφで、ワイヤ表面から15μmの深さまでの層除去の前後におけるソーワイヤの曲率変化から求めた内部応力が0±40kg/mm2(+側は引張応力、-側は圧縮応力)の範囲に設定されていることを特徴とするソーワイヤ用ワイヤ。」である。
原告は、本件特許の無効理由として、特許第29条第1項柱書、同第29条第2項、同第36条第4項、同第36条第6項第2号、同第36条第6項第2号等多岐に亘り主張したが、請求は棄却された。
原告は、特許庁が本件特許は特許法36条6項1号に違反するとの無効理由は,理由がないと判断したことに対して、
(ア) |
本件特許発明は,その特許請求の範囲(請求項1)において内部応力の数値を「0±40kg/mm2 」の具体的範囲に限定するものであるから,機能,特性等の数値を限定することにより物を特定する発明である。 一方,本件明細書の発明の詳細な説明に記載された具体例は,特許請求の範囲に記載された数値範囲全体にわたるものではなく,また,示された具体例において も効果の連続性がない。すなわち,本件明細書(甲44)の段落【0009】及び【表-1】(段落【0010】)には,本件特許発明に係るワイヤが記載され ているが,ワイヤの径サイズは0.18mmφの1種類のみであり,また,内部応力値が「0±40kg/mm 2」の範囲に含まれるものは,23kg/mm2 ,25kg/mm2 ,30kg/mm2 ,32kg/mm2 ,35kg/mm2 の5点のデータのみである。また,【表-1】には,本件特許発明の内部応力値の範囲内である32kg/mm2 であるワイヤにおける使用後のフリーサークル径が,同範囲外である90kg/mm2 の内部応力を有するワイヤにおける使用後のフリーサークル径よりも明らかに小さいことが,また,小波の発生の有無についても,本件特許発明の内部応力値の 範囲外である120kg/mm2 及び96kg/mm2 のワイヤでも小波が発生していないことが示されている。 したがって,【表-1】のデータから,特許請求の範囲に記載されている内部応力値を「0±40kg/mm2 」とすることで,フリーサークル径の減径防止や小波の発生の防止という本件特許発明が奏するとされている効果が得られるものと理解することは困難である。 |
(イ) |
そうすると,本件特許発明は,本件出願時の技術常識に照らしても,特許請求の 範囲に記載された発明の範囲まで,明細書の発明の詳細な説明に開示された内容を拡張ないし一般化できない場合に当たるから,本件明細書はサポート要件 (「特許請求の範囲に記載された発明が発明の詳細な説明に記載された発明であること」)を満たさず,本件特許は特許法36条6項1号に違反する。 |
2.争点
「実施例(具体例)に結果とともに示された数値範囲が請求項記載の内部応力の全範囲(「0±40kg/mm 2」)にまで拡張ないし一般化できるか。
3.判決要旨
取消事由2(特許法36条6項1号違反の判断の誤り-いわゆるサポート要件違反)について
(1)
原告は,本件明細書の発明の詳細な説明に記載された具体例は,特許請求の範囲に記載されたワイヤの径サイズ,内部応力値の数値範囲全体にわたるものではな いこと,また,示された具体例に効果の連続性がなく,内部応力値を特許請求の範囲記載の範囲(「0±40kg/mm2 」)に設定することで,フリーサークル径の減径防止や小波の発生の防止という本件特許発明が奏するとされている効果が得られるものと理解することは困難で あり,本件明細書はサポート要件を満たさないと主張する。
しかし,前記(イ)で検討したとおり,本件特許発明のワイヤの径サイズ(「0.06~0.32mmφ」)は,通常使用されるワイヤサイズに基づいて規定し たものであること,本件特許発明の内部応力の範囲(「0±40kg/mm2 」)は,ワイヤの表面層の内部応力の絶対値が小さい数値を規定したもので,その上限値又は下限値に格別の臨界的意義があるわけではないこと,発明の詳細な 説明の【表-1】記載の本件特許発明の具体例1ないし5は,いずれも微少小波が発生していないことで一貫し,【表-1】記載の具体例及び比較例から,内部 応力の絶対値が小さい具体例ほどフリーサークル径が大きくなる傾向にあることを理解することができることに照らすならば,【表-1】記載の本件特許発明の 具体例1ないし5は,特許請求の範囲に記載されたワイヤの径サイズ,内部応力値の数値範囲全体にわたるものでないからといって,本件明細書はサポート要件 を満たしていないとはいえない。
したがって,原告の上記主張は採用することができない。
4.執筆者のコメント
本件は最近の判例の中で特許法第36条第6項第1号(サポート要件)についての審査基準における「拡張ないし一般化」の可否について議論がなされた数少な い判例であるため、他の無効理由については割愛して報告した。しかしながら、本審決取消訴訟では、本件特許の無効理由としてサポート要件のみならず、特許 第29条第1項柱書、同第29条第2項、同第36条第4項、同第36条第6項第2号等多岐に亘り進歩性の議論が中心になったこともあってか、サポート要件 についての特許庁の判断はごくあっさりしたものとなった。裁判所では、内部応力の範囲(「0±40kg/mm2」)はワイヤの表面層の内部応力の絶対値が 小さい数値を規定し,その上限値又は下限値に格別の臨界的意義があるわけではないこと、内部応力の絶対値が小さい具体例ほどフリーサークル径が大きくなる 傾向にあること等、一応の理由を示して内部応力の全数値範囲に実施例(具体例)の結果を拡張ないし一般化することを認めている。具体例1に上限 「35kg/mm2」まで開示されていることからすれば「40kg/mm2 」まで拡張することに異論は生じ難いとも考えられるが指針を示したものとまでは言い難い。
本件対象特許は別の特許侵害訴訟(平成18年(ワ)10033特許権侵害差止請求事件 大阪地裁H20.9.4)で争われ、こちらについては侵害被疑者側 が勝訴した。理由は、侵害立証が困難であったことである。侵害訴訟判決文にはエッチング深さが15μmとなる層除去前後の曲率半径から内部応力を高い精度 で求めることが非常に困難であり、侵害被疑品が内部応力の範囲(「0±40kg/mm2 」)に含まれるか否かを立証することが非常に困難であったことが示されている。この1件、および、権利化過程で特許庁側からサポート要件違反を問われるこ となく裁判所もこれを支持したこと等を総合すると、本件特許発明の技術的範囲が実施例に比し広すぎるとの印象は持たれ難かったことが窺える。
実務ではサポート要件違反の拒絶理由を受けた際、拡張ないし一般化の主張が問題となる場合が多く参考となる先例に当たりたい局面も多いが、判例の蓄積が未 だ少ない。また、拡張ないし一般化も、実施例当面参考とすべきはむしろ拒絶理由通知等の審査経過、査定系審判経過と考えられる。
(執筆者 岡崎 豊野 )